からたちサロン36 20120221
小澤匡子 17期 「白い道」・・・山頭火の妻を演じて
◇小澤匡子 17期

劇工房「虹舎」代表

岡本るいさん(本名小澤匡子、17期)は、演出家森田雄三さん(17期)、前同窓会長牧行宣さん(16期)らとともに、高校演劇の全盛時代をつくり、演劇の道に・・・。それから50年。いまも現役として舞台に立ち、演出家としてもご活躍されています。
昨夏、山頭火の妻を描いた一人芝居「白い道」を上演され、当時の耐え忍ぶ女性の生き方を見事に表現され、しかも膨大な台詞を憶えて演技されるエネルギーにも感動させられ、本サロンに寄稿をお願いしました。
長い人生、誰しも順風満帆とは行きません。小澤さんの生き方にも、山頭火の妻の人生と重ね合うところがあるようです。来る3月22日に再演することになっており、沢山の方々の来場を期待しています。(編集者;高田敬輔)



◇一人芝居との出会い

一緒に役者を目指した友人たちのほとんどが辞めてしまった頃、私はやっと芝居の世界に復帰できた。難病(全身性エリテマトーテス)で長期間の中断を余儀なくせざるを得なかったのである。夢を無残にも打ち砕かれた青春だった。
復帰第一作目は新劇の大御所ともいえる数人の演出家が調布を拠点に作った劇団の公演「お登勢と川」だった。通行人でもと思って参加したのだが主役のお登勢を演じることになった。若い時「寺田屋お登勢」でもお登勢役を演じていたので不思議な巡り合わせだと思った。
その公演の演出が文学座の岩村久雄先生だった。以来、12年間師事し、その間多くの先生演出の作品に主要な役で出演させていただく事となった。劇団が解散となった後も先生との縁は続き、一昨年4月、一人芝居「銀色の波」(猪浦節子作)の再演に続き、昨夏8月28日、猛暑の中「白い道・・・山頭火の妻」(橋本和子作)を上演した。共に私自身の企画制作に依るもので、演出は岩村先生にお願いした。
舞台はいずれも私が住む狛江市にある古民家(むいから民家園)を選んだ。大小の庭を配したやや小づくりの古民家は一人芝居に最適な空間と思われた。
「銀色の波」は放置自転車によって自らのつつましい暮しが脅かされ、生活までも奪われてしまった老女のささやかな抵抗をテーマとした作品である。舞台として磨き抜かれた板の間と隣接する小さな裏庭を使った。古民家の障子を生かした照明と裏庭の緑が映え、印象的な芝居となった。

◇「白い道」との出会い

「白い道」の方は手入れの行き届いたメインの大きな庭を使うことにした。照明でライトアップされた美しいお庭を背景に、畳敷の座敷に小机、卓袱台等を置き舞台とした。
開演から終演までの2時間、天然のBGMとして昼は蝉、夜は虫の音が舞台を盛り上げてくれた。どちらの舞台も面白い空間となり、芝居を引き立ててくれたと思う。(ちなみに照明は舞台照明家である夫のデザインである)
「白い道」は放浪の俳人種田山頭火の妻「サキノ」の一人語りの形で進められていく。
そして今回は山頭火を表現するのに適役ともいえる虚無尺八の一人者善養寺惠介氏との念願の共演であった。
五七五では収まらない自由律詩の先導者山頭火の俳句は、破天荒な生き様、酒浸りで乞食同然の行乞(ぎようこつ)の旅の果てに限界まで追いつめられて生まれた珠玉の俳句である。
私は20年代半ば頃に「雪ふる逢えば別れの雪ふる」の句に出会った。
私の母も67歳で亡くなるまでの35年間俳句を作り続けていた。母から教わった俳句とは違っていたがこの句は私の心に滲み込み、ずっと頭の底に残っていた。山頭火の芝居を上演するという因縁はこの時に生まれたのかもしれない。

◇サキノの生き方

山頭火の妻「サキノ」は裕福な旧家に生まれ、幸福な家庭で周囲に愛されて育った。対象的に種田正一(山頭火)は幼い頃に母を自殺で失うという生涯逃れることのできない苦悩を抱えた暗い不幸な生い立ちだった。種田家も代々続く大地主で素封家だったが、父親の放蕩と道楽で没落の道を辿っていた。サキノは嫁いだからには灰になるまでとの覚悟で種田家の再興を願い家業に精を出す。夫を支え、子供を育て、家を守るというのは当時の女性の務めだった
しかし、種田の生家の破産、そして離郷、弟の自殺と不幸が続き、自爆自棄となった正一は次第に酒浸りとなって行く一方で、文学にのめり込み、いつしか地元の俳壇では有名な存在となっていった。正一の苦悩は深く、そしてついに妻子を捨てて出奔する。生活を省みないどころか東京に行ったまま帰ってこない夫をサキノの実家は許さず、強引に離婚させてしまう。
東京で関東大震災に遭い悲惨な惨状を見た正一は大変な思いをしてサキノのもとに戻ってきた。そして苦悩の果てに当然のような成り行きで出家する。出家した正一は求道者としての放浪の旅、行乞の旅を繰り返し、おびただしい数の珠玉の俳句をつくり続ける。二人の関係は腐れ縁ともいうべき奇妙なものであった。
サキノは離婚した後も乞食同然の姿で平然と帰ってくる正一を泰然と受け入れ、乞われるまま仕送りしながら正一を支え続ける。彼女は自身の才覚で店を切り盛りし、女手一つで一人息子健を育て上げた。
一人の天才の陰にそれを支えた女性がいた。明治、大正、昭和初期の従順で忍耐強い妻は当時の理想の女性像だった。
私はサキノを演じていてふと彼女の女としての苦悩を演じることが出来たのだろうかと自問する。
サキノの一生は苦労の連続だったが、女としての孤独、どれほど心細く辛く、寂しい日々を過ごしてきたことか・・・その悲しみを「白い道」の作家は従兄の祐輔の存在の中に垣間見させる。だが、彼女は山頭火の妻として、息子健の母親として生涯種田サキノとして生きる道を選ぶ。
彼女はなぜ山頭火を支え続けたのだろうか?確かに息子の父親という思いもあっただろうが、私は彼女の知性が山頭火を支える人生を選ばせたのではないかという気がする。
初めて正一に会った時の思い、都会的で陰のある知性あふれる文学青年へのあこがれ、その想いが山頭火を支え続けることで彼の才能をも支えるというひとつの愛の決断ではなかったかと考える。彼女あっての山頭火だったに違いない。夫を支えるのが当然という「三従」の縛りの中で、女性が自分の思いを生かす手段だったのかもしれない。女性から見れば理不尽ともいえるかっての女性の理想像は現代では美談となるのかもしれないが、その風潮は私の高校時代でさえ未だ残っていて、思い返すと随分悔しい思いをした記憶がある。
女性が解放され、社会進出を遂げた現在、華々しく活躍する多くの女性がいるのは素晴らしいことである。その反面、結婚しない女性が増え、少子化現象の一因となっていることを考えると、女の一生として「サキノの生き方」が懐かしく、また、いとおしく思えてくるのである。

[後記]今年3月22日(木)調布市グリーンホール小ホールでこの「白い道」を再演します。
「銀色の波」、「白い道」、そして昨11月に、私が朗読と演出をした「あらしのよるに」の三作品を何人もの二水の先輩、後輩が観に来て下さり、文化の発信元として小さな一役をはたしているという責任と自負を感じている次第です。そして皆様に感謝するとともにこれからも応援して支えていただけたらと願っています。

写真1;「白い道」公演パンフレットより写真1;「白い道」公演パンフレットより
写真2;岡本るいさん年賀状より
写真2;岡本るいさん年賀状より

種田山頭火(たねだ さんとうか 本名 種田正一、1882年〜1940);
行乞(ぎょうこつ)の旅の中で自由律俳句を作りつづけた漂泊の俳人である。
山口市小郡文化資料館HP参照;
http://www8.ocn.ne.jp/~cm-ogori/f-main.html
 
◇岡本るい(本名 小澤匡子)プロフィール;
1965年二水高校卒(17期生)、劇団東演養成所、松浦竹夫演劇研究所卒業、劇団現代、劇波、テアトロ海を経た後、病気のため中断。1997年活動再開、2009年調布市民演劇センター副代表。現在、劇工房 虹舎代表。
代表作;「寺田屋お登勢」「長江乗合船」「楽屋」「雰囲気のある死体」「夜の来訪者」「調布わが町」など多数。「相寄る魂」では主演の他、演出も手掛ける。「銀色の波」「白い道」などでは一人芝居を独演。さらに「金子 みすゞ 詩の世界」の朗読公演を定期的に継続
演出作品;「ベルナルダ・アルバの家」「女中達」「フェードル」「サド侯爵夫人」「班女」「相寄る魂」「明日は天気」「あらしのよるに」など


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