からたちサロン34
「夢は実現する・・・ 芝居=わが人生」
(ニ水関東総会トークショー抄録)

鹿賀 丈史(21期)

俳優、合唱部OB

二水関東の5周年は是非同期生の鹿賀丈史君にと、役員会から熱い要望を頂いたのが確か昨年秋のことでした。 至難な企画と何だかんだ理由をつけて躊躇しつつも、同期の有志で「レ・ミゼラブル」を観劇し、楽屋へ押しかけた我々に、「行けると思うよ!」の一言!!今までの人生であんなに嬉しかったのは、初めて!(ホント!)感動しました。 さらに「掛け合いのトークショーみたいので良ければ」と暖かい彼の言葉で、今回の招待講演に至りました。 相手役・・そう私は最初から同期のマドンナ・江田博江さんと決めていました。江田さんへの交渉も難航しましたが、最後は快くお引き受け頂き、めでたし、めでたし! さらに、トークショーのWeb公開も鹿賀君のご好意により実現しました。
人気に溺れず、直向きに歩み続ける鹿賀君に喝采です。
河口洋徳(21期、関東支部常任幹事)

◇プロローグ
(21期:江田博江) 21期卒業江田博江と申します。どうぞよろしくお願い致します。これからは、鹿賀丈史トークショーでお楽しみ頂きます。鹿賀丈史、本名勝田重勝さん、私たち同期にとっては勝田君というのが素直な呼び方だったのですが、今や鹿賀丈史さんとお呼びするのがしっくりくるようになりました。それだけ日本を代表する俳優になられたと云う事なのでしょう。
 鹿賀さんは、二水高校を卒業後、芸大受験のため上京その受験勉強中に浜口庫之助先生をはじめとした様々な人々と出会い、1972年に劇団四季に入団。研究生2年目で、ジーザスクライストスーパースターの主役に大抜擢、その後「ウエストサイドストーリー」「かっこうの巣をこえて」など数々のミュージカルで主役をこなし、一躍注目を集めました。在団中からNHK大河ドラマ出演などを経て、1980年四季を退団。その後は映画、舞台、テレビなどで大いに活躍、1982年にはエランドール新人賞を、映画「キャバレー」「疑惑」「麻雀放浪記」の各作品で3度の日本アカデミー賞助演男優賞を受賞されました。
 1987年から足掛け24年間、ミュージカル"レ・ミゼラブル"でジャベールとジャンバルジャンのダブルキャストを演じ1998年レミゼ初演以来、舞台の中核としての活躍・功績に対し、第24回菊田一夫演劇賞特別賞が授与されました。
 2001年から公演のジキルとハイド≠ナは二重人格の役を見事に歌い演じ分け、その演技が高く評価され2005年第31回菊田一夫演劇賞演劇大賞を受賞、1993年からはテレビ番組「料理の鉄人」で初のバラエティにも挑戦。「私の記憶が確かならば!」のセリフは今も記憶に新しいところです。シリアスな役からコミカルな演技まで幅広くこなす、今や日本を代表するエンターテイナーとして大活躍の鹿賀さんです。
 早速われらが二水の同窓生、私達21期の星、鹿賀丈史さんに登場頂きましょう。皆様大きな拍手でお迎えください。
(拍手)
鹿賀)皆さんこんにちは、勝田重勝、いや鹿賀丈史です。どうぞ宜しくお願い致します。
江田)お久しぶりです!よくお越し頂きました。どうぞおかけください。
鹿賀)今回、講演の依頼を頂きましたが、自分の人生やおしばいの話ならできますということで、今日は、私の人生観や、俳優観みたいな事についてお話をできればと思います。
江田)鹿賀さんが同窓生の会等に参加して頂くのは、「私の記憶が確かならば、初めてではないかと思うのですが!」いかがでしょう。(笑)
鹿賀)そうですね!確かにその通りです。
江田)今日は同期の仲間もたくさん来ております。一緒にこの会を盛り上げていきたいと思いますのでどうぞ宜しくお願い致します。 (拍手) 
本日は、映像を用意頂いたので、これを拝見しながら、お話を進めてゆきたいと思います。

◆高校は合唱部、友人に誘われ劇団「四季」に入団

鹿賀)これは兄貴と一緒の私です。父が写真好きで、このような写真がいっぱいあります。
一歳ぐらいの時の写真です、火星人ではありません!がなかなか利発な子供でしたね。(笑)
江田)二水高校へ入るくらいですから、やはり利発なお子さんだったのですね!
鹿賀)二水では合唱部に所属し、クラシックを勉強していました。芸大へ行こうと思い東京に出たのですが、ひょんなことから劇団四季に入りました。アルバイト仲間の一人が、四季を受けるので、お前も受けてみろよ!と言われ、四季って何?と思いながら受けたら、私は合格、彼は不合格!そんなことがきっかけで四季に入りました。これはそのころの写真で、右側は、ジャニーズの最初のメンバー飯野おさみです。パリのどこかです。
江田)四季の研究生のころ、タイツのエピソードがあったのではないかと思うのですが?
鹿賀)研修所では演劇理論や、バレーのレッスンをします。初めてのレッスンの時、タイツを買ってきなさいというので、渋谷のチャコットという店に行きました。何色がよろしいですか?というので、黒でいいです!と言いましたら、黒は品切れ、白ならありますというので、仕方なく白を買って帰り、初めてのレッスンにその白のタイツをはいて行きました。皆すごい踊り手が来たと思ったみたいでレッスン初日から注目を集めてしまったのです。それが私の四季の始まりでした。
江田)なるほどそれは目立ちましたね!

◆「ジーザスクラストスーパースター」で主役に抜擢
鹿賀)そんな時、翌年ロックミュージカルのジーザスクライストスーパースター≠やるというので、オーディションを受けました。なんと合格して即主役をやる事になったのです。僕の人生にとって本当に大きな出来事でした。中野サンプラザの?落しだったのですが、会場の前で舞台化粧のまま、キャッチボールをしていたら浅利慶太さんに、「お前もうすぐ本番だぞ!何を考えているのだ!」と、いきなり叱られたのを覚えています。結構図々しかったみたいです。(笑)
この写真の右の人、市村正親です。2人目の子供が今度生まれますが、私より2つ年上ですがまあ元気です。(笑)38年の付き合いですが、今もたまに連絡し合っています。 江田)研究生で主役を取ったわけですがそのような例は今まであったのですか? 鹿賀)多分なかったと思います。中野サンプラザは2千人入る広い劇場ですが、幕を開けると会場はガラガラ。どこの誰だかわからない私のようなのが主役をやっている訳ですから、仕方なかったと思います。ただ中日頃からは、どんどん人が増え、千秋楽近くには立ち見でいっぱいの盛況になりました。とてもラッキーでしたが、これが私のデビューでした。
◆コーちゃん(越路吹雪)に学んだ「舞台魂」
翌年ウエストサイドストーリーで主演をさせて頂いた時の写真です。共演の久野綾希子さんです。このウエストサイド≠ニかっこうの巣を超えて≠ニいうミュージカルのころ越路吹雪さんと何度かご一緒させて頂きました。麻雀にも誘って頂きとても可愛がって頂きました。
その越路さんがある時、「今日はとても調子が悪いの!でも2時間少しのショーで最後にお客様にどんな気持ちで帰って頂けるかプロセスを見てて!」というようなことを言われました。はじめのうち本当に調子が悪そうに見えましたが、舞台が進むにつれてどんどんお客様をひきつけ最後のカーテンコールでは、客席からコーちゃーん、という掛け声がいっぱい、すごい盛り上がりだった事を鮮明に覚えています。
江田)越路さんとの出会いが、とても大きな出来事だったのですね。
鹿賀)俳優は結構孤独な仕事です。本当に調子が悪い時もある訳で、そんな時は、必ず越路さんのその言葉(プロセスを見てなさい)を思い出すようにしています。越路さんに教わったとても重要な事だったと思っています。
江田)やはり越路さんの大きさがうかがえますね。では次の写真に進みましょう。
◆森繁さんに学ぶ「芝居はにわか」
鹿賀)これは、四季在団中の、NHK黄金の日々というドラマです。松本幸四郎さん、当時の染五郎さんとの共演で高山右近の役をさせて頂きました。 同じ頃"三男三女婿一匹"という森繁久彌先生の作品にも出させて頂きましたが楽屋で先生はとどんどん台本を直され、本番が始まるころにはすっかりセリフが変わっていて、驚いたものです!(笑)お芝居というのはにわか≠ニもいわれるのですが、まさににわか≠地で行っていたのです。
江田)このあたりから、どんどん有名になったのですね。
◆素晴らしい俳優、監督との出会い
鹿賀)このころから、和田アキ子さん、研ナオコさん、浅田美代子さん等とご一緒することも多くなりました。30歳の時に四季を退団しましたが、31歳の時もう一人大きな出会いを経験しました。野獣死すべし≠ニいう映画で松田勇作さんとご一緒したのです。彼はその頃もうトップスターだったのですが、彼はとても面白くて、「おーい、鹿賀、それじゃお前、俺の芝居と一緒だろ、かぶっちまうぞ!」などと言い、図太いというか、男気のある映画俳優独特の素晴らしい方でした。
これは篠田正浩監督の悪霊島≠ニいう作品で金田一幸助役です。篠田さんも厳しい方なのですが、あまり芝居のことを説明されないのです。あるとき7−8分のカットがありまして、鹿賀さん、そっちの方にずーっと歩いて行ってください!と言われたのでずーっと歩いて行ったのですが、そのまま声もかからないので、もういいのかなと思って振り返ったのです。そうしたら、カメラはまだ回っていて、「なに振り向いてんだ!!」と怒鳴られまして
江田)もう一回やり直し!?
鹿賀)そう、やり直しです。 
これは映画キャバレーで角川春樹さんのメガホンです。 函館ロケで車が炎上して海へ飛び込むシーンの時、「カメラいいか?」「照明いいか?」「音声いいか!」、「行くぞ!よーい!カット!!」とやられてみんなでオオコケしたことを思い出します。
◆利家役で「故郷に錦」
百万石まつりです。前田利家をやりました。気温が30数度で、とても暑い日でした。馬が暴れだしたりしてなかなか大変でしたが、これが「故郷に錦を飾る」と云う事なのかということで、一所懸命やったわけです。(笑)
江田)百万石まつりでの利家役では、初めての役者さん登用だったのですね!
鹿賀)そうですね私が初代利家ということでした。
◆ゲイ役の特訓でゴルフまでゲイ風?に
これは、劇団をやめて7年目の作品で、トーチソング・トリロジー≠ニいうファイアースタインの作品です。非常に面白い作品で、7年ぶりの芝居でしたが、この時本当に俳優になったのかなと感じたことを覚えています。この時は山岡久乃さんとご一緒したのですが、山岡さんにも、とても世話になったことを覚えています。
江田)この時面白い経験をされたとのお話を伺ったように記憶しますが?
鹿賀)ゲイの事ですね!ゲイのことがわからないので、知り合いのゲイバーへ台本を持ちこみ、どんなふうにやったらいいのか?と尋ねましたら、「何言ってるのよ、そんなこと私と3日も一緒にいれば分かるわよ!」といわれびっくりしました。そのうち、今度は、それが身についてしまい、ゴルフでティーアップするのに、膝がそろってしまい、あれオレ、どうなったかな?本物になったのかな?ということが、ありました。(笑)
江田)戻ってよかったですね!
◆24年続いている「レ・ミゼラブル」
鹿賀)次の写真は、レ・ミゼラブルで、私はジャンバルジャンと、ジャベール警視の2役を交互に演じましたが良い勉強になりました。今年は帝劇100周年記念スペシャル公演ということで、24年前ご一緒した、鳳蘭さんや、斉藤晴彦さん、島田かほさん、岩崎宏美さん等も出演されました。とても懐かしく演じました。
江田)また出演依頼があったら、やられますか?
鹿賀)そうですね65歳ぐらいまでなら させてもらうかもしれませんね!(笑)
江田)やっぱりエネルギーをつかわれるのでしょうね!
鹿賀)そうです、かなり使います。
江田)ジャベールとジャンバルジャンはどちらが良かったというかお好きですか?
鹿賀)バルジャンは、罪を犯した訳ですがとても慈悲深い人になって神を信じ、人生を大事に生きて行くわけ。一方ジャベールは、そういうバルジャンを、執念深く追い続ける訳です。エキセントリックさ、しぶとさがあり、自分もどちらかというと、後者に近いというか、役としてですが、好きかもしれません。
江田)私もどちらかというとジャベールが好き。個人的にちかいのかもしれません!!(笑)
鹿賀)これは西田敏行さんとやった翔ぶが如く≠ニいう大河ドラマです。小山内美江子さんの台本で大久保利通をやったのですが、薩摩弁が大変だったのを覚えています。
江田)やはりまだ若いですね!では次をお願いします。
◆テレビで大ブレーク「料理の鉄人」
鹿賀)料理の鉄人ですね、これは北京での写真、隣は谷村新司さん。私はなんとカラオケでスバルを歌ったのですが、谷村さんはほとんど聞いていませんでした。(笑)なんじゃこの歌は?≠ンたいな顔なさっていますね!
これは道場六三郎さんとの写真ですね!
江田)鹿賀さんはお料理のほうはいかがですか?
鹿賀)まったくです!
江田)お湯を沸かすぐらいなのですかね!(笑)
鹿賀)料理の鉄人というのは、もともと深夜の放送だったのですが、いつの間にか子供たちも真似するようになって、本当にヒットした番組でした。でもこの時正直こういう役をやってよいものか迷いました。一応正統派でやってきたものですから!(笑) ・・・チョットやってみましょうか!黄色いパプリカですが、私がこれをやってから結構あちこちのお店におかれるようになったみたいです。
江田)実は、パプリカを用意してきたんです。是非生鉄人お願いします。
鹿賀)私の記憶が確かならば、道場六三郎がお品書きを書いているうちに料理はできてしまうのです!
あまり受けませんでしたね!(大笑)
テレビというのは、すごくて道場さんがお品書きを書いているうちに日本料理ができてしまうのです!(笑)
江田)実演有難うございました。では次をお願いします。
◆一人二役「ジキルとハイド」
鹿賀)これはジキルとハイドです。この作品は、精神的にも肉体的にも本当に疲れる芝居です。最後の方で、ジキルとハイドが2小節ずつ声を変えて歌を歌うのですね。それで、生まれて初めて声帯をつぶしました。本当に声が出なくなって、怖くて舞台に立てなくなることがありました。とても思い出深い作品でしたが、これはまたやろうと思ってやれる作品ではありません!
江田)心身共に大変なお仕事なのだと思いますが、オン・オフというのはどのようにされるのですか?
鹿賀)私の場合舞台の中で、オン・オフをするみたいな感じで、劇場に入ると後は、そのままスーッと芝居に入り込んでゆく感じです。劇場に入る時すでにオンになっているのかもしれません。
江田)写真の方は、以上です。

◆人間は至上のカビ・・・輝くカビとして頑張る
鹿賀)気が付いたら私ももう61歳になっていました。フランスの古典作家ジロドゥーが宇宙にとって人間というのは、至上のカビである≠ニ言っていました!カビ≠ナす!(笑)だからこそ美しく!と言っているのです!僕は人の人生を演ずる俳優という仕事をさせて頂いています。それも良・秀作を演じさせてもらっています。ある意味恵まれた仕事をやらせて頂いていると思います。だからこそこの言葉を思い出して、後何年できるかわかりませんが、輝くカビとして、できる限り頑張って行こうと思っています。今日は二水の同窓会ということで皆さんと久しぶりにお会いできて本当にうれしく思っております。
江田)アットいう間に時間がたってしまいましたが、これから鹿賀さんには歌のプレゼントをお願いできると云う事です。一緒にお聞きしたいと思います。トークはこの辺りでお開きにさせて頂きますが、本日は本当に有難うございました。それでは歌のご準備をお願い致します。(拍手)

◆歌のプレゼント・・・レ・ミゼラブルから「スターズ」
江田)曲目は「スターズ」です。本日伴奏をお願いするのは、合唱部の一年先輩の東京成徳短期大学教授の板本勝百(いたもと かつと)先生です。どうぞよろしくお願い致します。

歌のプレゼントを聴く
左の写真をクリックしていただきますと、限定公開版のYouTubeでご視聴いただけます。
<トークを終えて   江田博江(21期)>


同期として古くからの友人として鹿賀丈史トークショー進行のお手伝いをさせていただきました。 久し振りに会った鹿賀丈史はいつも通り凛とした役者の雰囲気と年とともに柔和になった笑顔で会場を包み込み、さすが40年近く役者の道を歩いてきた力を感じさせてくれました。欲を言えばもう少し時間があれば二水時代のことやこれからのことを掘り下げて話してもらえたのに・・・とちょっと残念ですが、俳優鹿賀丈史の素顔をお届け出来ていれば幸いです。 友人として、これからも彼のさらなる飛躍を期待し輝くカビの人生を応援して行きたいと思っています。 最後にスタッフの皆様、つたない進行を支えていただきありがとうございました。 
参考Web情報
鹿賀丈史 オフィシャルサイト
鹿賀丈史 Wikipedia
鹿賀丈史 近日公演案内 『ラ・カージュ・オ・フォール 籠の中の道化たち』
◇ 鹿賀丈史 関連ブログ
    木村孝(21期) 「邂逅〜木村孝のオフィシャルブログ」  「夢は実現する」2011-05-26
   穴田有里(52期) 「穴田有里official blog...This little light of mine」 「鹿賀さん☆」October 29, 2011



「からたちサロン」トップへ   トップページに戻る


禁無断転載 ©Copyright 2010 NISUI KANTO All rights reserved