からたちサロン31
雑学を求めて・・・塩硝街道
◇得猪外明(7期)
( とくい そとあき )
神田雑学大学理事
 鶏の鳴き声やオノマトペの研究でお馴染みの得猪外明さん(7期)は、神田雑学大学で雑学博士の称号を持ち、ユニークな講演を企画しながら、講演録をWebで全国に発信しています。 また、金沢の「北國文華」に郷里の昔の出来事を小説として、しばしば執筆する文筆家です。 このたびも「北國文華」に「塩硝街道」という小説を執筆しました。金沢駅西中央公園に「天保義民の碑」があり、天保に五箇山に流刑された西念地区の農民と煙硝づくりに纏わる話です。「煙硝」が何故「塩硝」かも、小説を読むと納得です。
(編集者;高田敬輔)


 室生犀星の言ではないが「ふるさとは遠くにありて思うもの」という気持ちは年齢を重ねるごとに強くなってくる。
 高校を卒業した年の春、今は亡き荒川拓二君と登った大門山が懐かしい。
 春から夏にかけて北陸線の沿線から犀川上流に臨む白山連峰の雄姿は素晴らしい。 大門山に登った時は湯涌から歩いて下小屋の分教場で泊めてもらった。女の先生ひとり生徒ふたりの小さな学校だったが、やがてそこも廃校になったらしい。
 あたりには炭焼き小屋が散在してわずかに煙が登っていた。今は村全体がない。 残雪を踏みしめて大門の頂上に立つと南に金沢市街が望まれ、反対側に五箇山が見えた。その後、五箇山で煙硝が作られていて、それが密かにブナオ峠を越えて加賀藩の煙硝蔵に運ばれていたということを知った。
 小立野に「煙硝坂」という地名が残っていると聞いて、いちど調べてみたいと思っていた。
 二水時代、化学部にいたので火薬に関する知識は多少持ち合わせている。
 あるとき火薬の実験をやろうとして先輩から、こっぴどく怒られたことがある。硝酸カリウムと硫黄と木炭の粉を乳鉢で摺ろうとしたのである。間違えば爆発して大けがをするところだった。
 煙硝の正体は硝酸カリウムである。16世紀に種子島に鉄砲がもたらされたとき、当然火薬もついてきたが当時の人にとって火薬は魔法の粉だった。 スペイン、エジプト、イランなどでは土壌から析出した硝石が地表に薄い層になっているため天然に採取されるが、日本のように湿潤環境では析出しない。
 東南アジアでは伝統的に高床式住居の床下で鶏や豚を飼育してきたため、排出された糞を床下に積んで発酵・熟成させ、ここから硝石を抽出してきた。
 日本では鎖国によって火薬の輸入が途絶えたため、五箇山で密かに煙硝が作られてきた。
 床下の土に腐葉土を混ぜ、人尿をかけながら何年も発酵させ、水溶液とした後、水分を蒸発させて煙硝を析出させる方法は偉大な発明であった。
 幕末から明治にかけて五箇山・白川郷で生産された煙硝は年間九千貫にのぼったという。煙硝は加賀藩にとってドル箱商品であった。
 しかし、明治中期になって天然のチリ硝石が輸入されるようになって五箇山の煙硝産業は一気に衰退した。
 北国文華に書いた「塩硝街道」はそうした思いを込めて書いた小説である。

写真は駅西中央公園に立つ「天保義民の碑」(左)と「説明看板」(上) 川崎常元さん(10期)撮影

小説「塩硝街道」あらすじ

 天保年間、うち続く飢饉で庶民は塗炭の苦しみを味わっていたが加賀藩も例外でなかった。米に依存する幕藩体制は行きづまりを見せており、財政がひっ迫する中で銭屋五兵衛が取り仕切る北前船の抜け荷による運上金と塩硝の専売による利益が大きな収入源となっていた。
 塩硝は幕府、各藩で砲台の建設が増加したことから需要も増え、その増産が求められた。幕府の手前、大規模な塩硝の生産は幕府に言えないことであり、加賀藩は五箇山で密かに生産してきた。
 塩硝の製造は経験と勘に頼るバクテリアリーチングによるもので大変な労力と時間を必要とした。
 加賀藩は、その労力不足を補うため農民の年貢の納入拒否をいいがかりに逮捕、追放の手段に出、金沢の西念、新保村を中心に百名以上の農民を五箇山流しとして送りこんだ。
 塩硝の運搬も人目をはばかって西赤尾からブナオ峠越しに、幕府に提出する地図にも記載されていない、けもの道のような心細い道を通って小立野にある加賀藩の塩硝蔵に運ばれた。
 金沢から送られた流民は黙々として労苦に堪え塩硝の製造に励んだ。彼等は九年目に赦免が許されて郷里に帰った。
 流民を出した村は、彼等のために命がけで藩に窮状を提訴して獄死した肝煎、組合頭などのために「天保義民の碑」を作って、遺徳をしのんだ。
 その碑は現在、金沢市駅西中央公園に残され、碑の題字は勝海舟の書と言われている。

◆「天保義民の碑」に関する戸板公民館のブログ  http://toitakoumi.exblog.jp/8481898/

◆「天保義民の碑」に関する五箇山・合掌造り・羽馬家住宅のブログ  http://habake.blog116.fc2.com/blog-entry-42.html 

◇得猪外明(とくいそとあき)プロフィール
 1937年金沢生、二水高校―金沢大学経済学部―JFEスチール梶i旧日本鋼管)出身
 NPO法人神田雑学大学 理事
 コケコッコーから擬音語・擬態語の世界にはまり、さらに日本語はどうしてできたか、日本人は何処から来たか、なぜ人間だけが話すことが出来るのかなど雑学に終わりはなさそうです。
神田雑学大学は毎週金曜日開校していますので、遠慮なくご来校ください。 神田雑学大学; http://www.kanda-zatsugaku.com/

著書 「へんな言葉の通になる」祥伝社新書 2007
著書 「へんな言葉の通になる」祥伝社新書 2007
小説 「見性庵聞き語り」  北國文華 35号 2008春
    「報国石川号」    北國文華 36号 2008夏
     「田端金沢村」    北國文華 38号 2009冬
    「反魂丹役所薩摩組」 北國文華 45号 2010秋
    「塩硝街道」     北國文華 49号 2011秋



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