◆「冷静に怖れる」
東電福島第一原発事故以来、放射線に関する国民の関心が一気に高まりました。同時に、放射線についての基本的な知識が十分理解されていない面も感じます。
放射線と向き合う基本姿勢は「冷静に怖れる」の一言のように思います。
放射線は健康に有害で生物はそれと共存できない怖いものですが、私たちの身の周りは放射線で溢れているのも事実です。自然放射線がそれです。さらに、医療や産業や農業などの各分野で広く有効利用され、今や私たちの日常生活の中でなくてはならない役割を果たしていることも知っておく必要があります。
一方、原発事故は重大ですが、医療の分野での放射線の利用は野放し状態になっていることにも注目しておきたいと思います。たとえば、いま流行のCT(コンピュータ断層撮影)は1回の撮影で約7mSvを被ばくし、その量は自然放射線による被ばく量(世界平均で年間2.4mSv、これは逃れようがない)の約3倍です。また、がんの治療には、強い放射線を照射し、吐き気、脱毛などの急性障害を余儀なくされています。しかし患者は立場上無言の場合が多いのです。
福島原発事故は未曽有の大惨事でした。指摘されていますように明らかに人災であり国と東電が責任を負うべきです。同時に風評被害には過剰反応と思われる事例もあるようで、冷静に対応することの大切さも感じます。
どこまで警戒すべきで、どこまで安心できるのか。問題はこの点だと思います。そして、それを明確に線引きできないのが実情です。その理由の一つは低線量の健康被害はまだよくわかっていないからです。放射線被害の大きな特徴は、低線量の放射線を被ばくしても健康被害がすぐには現れないことです。10年も15年も後になってからがんが発症したりするのです。でも、この間たばこを吸ったり、汚染物質を吸い込んだり、発がん物質を少量とはいえ食べものと一緒に取り込んだりしていますから、発がんが果たして放射線だけの影響なのか判別できないのです。
◆「安全性の哲学」
ではどうするか。ここに登場するのが「安全性の哲学」です。武谷三男(1911-2000、物理学者)は「安全に絶対はない、危険を避けることが最高の安全策だ」と言っています。「疑わしきは避ける」のが安全性の哲学です。危険を避ける選択肢があるのなら、その道を選ぶべきだということになります。地球環境の観点からもエネルギー政策の危険な原発を見直し、「省エネ、需要の抑制、自然エネルギーの開発」、この3つがこれからのエネルギー政策の基本とすべきだという主張はこうして生まれてきます。 |