からたちサロン27
ただいま製作中・・・金沢神社拝殿天井画“白蛇龍神”
◇山田俊一(18期)

日本画家
 金沢在住の画家で18期同窓生の山田俊一君と令夫人でペン画家の純子さんをご紹介します。今年4月、6年前のJR福知山線脱線事故に遭遇し、夫婦で亡くなった同期の小杉繁君の7回忌法要で金沢に帰省した際に、山田夫妻と会いました。その席で、製作中の金沢神社拝殿天井画のデッサンの写しや4月に発刊した画文集を見せてもらい、これはすばらしいと感じ、寄稿をお願いしました。
 彼は長年海外で生活し、真剣に絵と取り組んできた、まさに物静かな人間。奥様との共著"流浪の画家が描く故郷・金沢"と、来年完成の迫力ある12畳の天井画を皆様にご覧いただければ幸いです。
(紹介者;林直人(18期、関東支部幹事)




◆世界放浪で出会ったラマナ・マハリシの教え
 十八期生の山田俊一です。画家をやっております。
 金沢美術工芸大学で日本画を専攻。根っからの絵描きでないためか、伝統に飽きたらず、美術史の進行そのままに美意識が移り、最終的にアメリカの同時代アートをなぞっていました。美術が総て解ったような気分の、一種燃え尽き状態のまま卒業。そして、上京。高級宝飾のデザインの仕事に就くも、半年で辞め、日雇い、土方、大工の下仕事、三交代臨時工等の底辺労働。生きる目標も無いまま、鬱々とした消耗の暗闇。
 何年も経てやっと、一度は放棄した職業画家になろうと思い直す。本格的に勉強しなおすため、深いリアリズム伝統のあるスペインを目指す。どうせなら、陸路いろんな国々を見て行こうと、ネパールへ飛んだ。カースト制の厳しい、日本人には信じがたい貧しい山村。そこで、肝炎に罹り入院。療養兼ねて南インドへ行こうと降り立ったその日、見たのは、ハエのたかる道路脇の死体。
 結局、この地インド亜大陸に、8年間過ごすことになる。まるで、浮浪のヒッピーさながらに。山田は、この大陸ではじめて、人生なるものを考え始めたのかもしれない。
 そして、ラマナ・マハリシの弟子、プーンジャ・ジに出会った。(マハリシの教えの核は、Who am I ? を絶えず自己に問いかけること。プーンジャ・ジの教え方は、マハリシの問いの答えでもあるConsciousnessで、心の動きを暴く)
 ほんの三日間、ただ、師の前で黙って座ったのだが、何もかも忘れたようにリラックスし、幸福だった。
 「わたしは、長く美を探して来ました。でも、未だに見つけられません。先生、美とは、なんでしょうか?」
 プーンジャ・ジは、声を出して笑っただけだった。
 ※ラマナ・マハリシ wikipedia

◆金沢神社拝殿の天井画ー白蛇龍神
 人には、いつか、全力を出して我が身をさらす時期が訪れるのかもしれない。山田には、還暦が過ぎた頃、この話が持ち上がった。神とは、私の、集団我(共同体)の作り出したもので、それ以上のものでない事は知っている。だが、それだからこそ、今生きる私たちの夢(無上の想い)を託すことが出来るかもしれない。
 いざ、神を描こうとすると、私が思い描くものは、マガイモノで浅薄である事に気付く。消しゴム。そして、また消しゴム。非才な私には、そのとてつもなく重い大扉を、一日に、ほんのわずかしか押し開けられない。一ミリでも動いてくれれば、良し。油断すると、たちまち壊れてしまう。気の遠くなる作業。
 今年の三月、三陸沖の大地震、そして津波、さらに原発事故。これを契機に、日本を動かしているシステム全体が腐りに腐っている 事を露呈している。被災者、被曝の恐れある子供さえも顧みず、嘘と隠蔽。利己と自己保身ばかりの凄まじい腐臭。その中にあって、不遇な目に会わされながらも、不屈に抗して来た人々が存在していることを驚きをもって知った。そして多くの人たちが、声を上げ始めている。
 水神であり、大地の神であり、天地変の神である、白蛇龍神と対話する赤児の図。赤児になって神に近づく私たちは、神とどんな対話をするのだろう。
 現在、まだデッサンの詰めの段階です。次第に炎を従え、鮮やかな色彩が施され、来年の五月末に魂が入れられます。機会があれば、どうぞ、魂の入った白蛇龍神様にご対面を。
製作中の白蛇龍神
(2.8x1.4m)



金沢神社 http://www.kanazawa-jj.or.jp/

北國新聞Web http://www.hokkoku.co.jp/subpage/H20090511105.htm
"うるわしき金沢-ペン画で描く城下町"(能登印刷出版部)
 今年四月に、出版したばかりの画文集です。毎日新聞地方版に連載された記事を加筆訂正したものです。
 山田純子がペン画と文、山田俊一は文の共著です。(純子は、東京足立区生まれ。商事会社勤務時代に俊一と結婚。俊一の旅立ちに、一年後に合流。それ以来、長い旅をともに歩む)
 旅の中で様々な慣習の中で暮らす人々と生活を共にして、結局、人間は同じだなーと思った。この金沢にあっても、人は、いろいろな思いを抱きながら、ささやかに、精一杯に生きている。そんな人たちの生きている風景が中心になっています。
 天井画が、多くの人にメッセージを受け取っていただくために描いているのに対して、この本では、静かに金沢を味わっていただけたらな、と思っています。

  '年々歳々 花新たなり' より抄
 そして今、文字通りの故郷・金沢に戻っている。
 ちょっと、小声で言ってみる。
  「ふるさとは 近きにありて 静かにうたふもの」かもしれない。

うるわしき金沢
・・・ペン画で描く城下町

著者 山田俊一、山田純子
出版 能登印刷 ¥1,700
'馬坂' より抄
 気付くと左の土手に埋まるように、天保九年と刻まれた小さな石墓があった。このあたり、ほかにも数基散在していたらしい。天保の飢饉で亡くなった方のものか。この不動尊、知られざる人たちの悲痛をも受け止めてこられたのか。
'瓢箪町界隈' より抄
「坊やも、こういう甘いもんが好きなんや。いっぺんに無うなったがいね。みんな好きなんやねー」
 ぼーん、ぼ−んと、懐かしい柱時計も響いていた。
'にし茶屋の検番'
 にし茶屋街の廃れた姿しか知らなかった私は、室生犀星ゆかりの雨宝院からこの辺りを歩く時はいつも、彼の幼少期の暗い世界を重ねた。そんな、閉ざされたような、寂れた印象だった。
 それが、観光用に変貌していた。すっかり明るくなって、そして今さらながらに、往時のにし茶屋は、そぞろ歩く者を浮き立たせるような華やいだ街であったことに気付かされる。
 心の襞を撫でてくるような繊細な木肌格子の連なりの奥に、ことさらハイカラに構えた、白っぽい浅葱色の検番(芸者を取り次ぐ窓口)が建っている。この建物の前に、昔は池が広がっていたという。今は、そこに架かっていた石橋だけが、そのままに残されている。この橋を通って検番に出入りする芸者衆の、夕暮れ、人力車にのってお座敷に出かけるあでやかな姿が想像される。
 今日も、浴衣を艶っぽく着流した姐さんが入っていく。
山田俊一プロフィール
1947年金沢市生まれ、二水高校(18期)―金沢美術工芸大学日本画科卒業。 1979〜1986年インド亜大陸、1989〜2001年中国・ヨーロッパ・ブラジルを放浪、各地の暮らしを描く。本年4月画文集「うるわしき金沢」を出版、2008年より金沢神社拝殿の天井画製作中。





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