からたちサロン25
英世の金沢文学散歩・・・士族
◇松田英世(8期)
 放送部NHB出身
「文化の都、金澤」を今も・・
 「松田英世さん(8期)より、久々に「金沢文学散歩」を寄稿いただきました。昨秋、映画「武士の家計簿」を見たとき、ほとんどの加賀藩氏が忠実なサラリーマン生活を送っていたことに気がつきました。 明治維新により藩士は士族となりましたが、明治初期の金沢の人口は12万人、武家と町民が半々とのことですので、金沢文化や県民性がまさに士族によって継承されたものと思うと大変興味あることです。
(紹介者 サロンマスター高田敬輔)


 「昭和になってからは、士族は少なくなり、たとえ少しはいたとしても、第一、士族の平民のと、人前で自他を差別する習慣はすくなくなったが、それでも自分は加賀藩何千石の子孫だと、心中ひそかに自負して、何となくあたりを見下している者や、鷹揚に構えている者が、ないでもなかった。」(杉森久英『能登』)
 士農工商はお江戸の話である。ところが、いまだに引きずっている人もいましてね。配偶者である。彼女も金沢人で、時折、「私は士族よ」と誇らしい顔をする。「それがどうした?」と言ってみたいが、相手は家庭内上司でもある。ここはただ「下に下に」と引き下がることにしている。私は商人の末裔でして。
 金沢を出てもう半世紀以上になるが、金沢に住んでいた当時、「私は士族です」と誇らしげに言う人によく出会った。どことなく尊大な感じを受けて、いささか不愉快だった。
 平成のいまはさすがにそう言う人には出会わないだろう。そう思っていたら、いつぞや友人が案内してくれた金沢の飲み屋で、久しぶりに「私は士族よ」を聞いた。
 和服の似合う美貌の女将からである。笑顔で言ってるのだが、どことなく氷の微笑で、冗談が冗談として聞こえてこないのだ。
 女将が凛とした士族(?)さまのせいか、店内は客がほとんどいない。
 金沢には、「愛想が悪い」という意味の「きずいな」という方言がある。大手のデパートやスーパーはともかく、金沢の老舗といわれる店に入って、しばしば感じるのは「きずいな」という雰囲気だ。何しに来たという顔をされることがある。店員の気位が士族のようで、客扱いで損をしているなと思う。
 あの女将からは、その後、年賀状や暑中見舞いが律儀に送られてきたが、私は二度と士族に会いに行ったことがない。 友人の話だと女将の飲み屋は潰れたそうな。士族の商法のせいか。

◇プロフィール
昭和12年生、金石中―二水(8期)―金大理学部卒。
高校時代は放送部にいました。素敵な女子学生を校内放送で呼び出したりして遊んでいました。エッソ石油を定年退職後、夜の文学部の学生となり4年間通学し、大人の会という高齢学生たちの会を創ってコンパもやりました。
岩波書店発行の『定年後』(1999)に"還暦の大学生となって"というタイトルで文学部生活について書きました。目下、金沢文学散歩をテーマにして、文章教室に通って書いています。

兼六公園のかきつばたと霞に煙る「医王山」





5月28日朝撮影 高田敬輔



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