からたちサロン12
英世の金沢文学散歩・・・文化
◇松田英世(8期)
 放送部NHB出身
「文化の都、金澤」を今も・・
 前回「街を歩けば誰かに会う、金沢はうるさい町」とおっしゃった松田英世さん。 校歌にもある「文化の都・・」から、アメリカ文化センターで遭遇した、ちょっとしたエピソードがご自分の人生に生かされたとのお話、松田さん「文化とはフレッシュ エアである」と・・・あらたまって「文化」を考える機会をいただきました。
(紹介者 サロンマスター高田敬輔)


 私の高校の校歌に、こんな歌詞がでてくる。
 「文化の都 金沢金沢 金沢二水高等学校」
 さて文化とは何であろうか?
 まず思い浮かぶのは、金沢の武家町、本多町の一角にあったアメリカ文化センターである。中学生のころ、何度か行ったことがあるが、いつも静かで、タイプライターの音だけが響いていた。妙に心地のよいリズムだった。
 あるとき、偶然アメリカ人男性に出会った。彼は窓を開けたので、私は習いたての英語で「ニューエア」と言った。すると、アメリカ人は笑い、「フレッシュ エア」と訂正してくれた。アメリカ人が近しく思えた瞬間だった。
 高校時代の文化の日も忘れられない。北陸学院という金沢の名門女子高の講堂で聴いた巌本真理のヴァイオリン演奏会である。
  「文化の日には素晴らしい芸術に触れよう」と父が連れていってくれたのだ。曲目はまったく記憶にないが、初めて経験した生演奏にうっとり聴き惚れたものだ。
 演奏者のエキゾチックな彫の深い目、束ねたロングへアーの美しさ、ヴァイオリンをかき抱く豊満な胸。音色以外にも魅了された。
 大学生になって分析化学の講義中、教授が話してくれたエピソードも刺激的だった。アメリカ文化センターに勤務していた日本人男性が、50歳を過ぎてから金沢大学理学部数学科の学生になったという話題である。
  「先生たち、年輩の学生に気を遣ったみたいだけどね」と教授は苦笑していた。実は、この時に聞いた話が、私の定年後にも生かされるとは、その時には思いもしなかった。
 作家の森山啓が、『霜柱二十年(抄)』の中で、〈文化というのは、学問や芸術や芸能などばかりを指す狭義のものではなく、人類が自分の幸福のために創造した一切のもののことである。それは、鉄道、バス、道路、橋・・〉と書いていた。
 私の感じでは、「文化とは心の窓に吹き込むフレッシュ エア」である。



戦後間もなく本多町(いまの社会福祉会館の地)に、占領軍によって作られたCIE図書館が1952年から1968年までアメリカ文化センターとなっていた。
洋書、洋楽、英会話などアメリカ文化と接することのできる学生や市民のステータス的存在となっていた。
(写真はアメリカ文化センター7周年記念誌"薫苑"県立図書館蔵より)








◇プロフィール
松田英世;昭和12年生、金石中―二水―金大理学部―エッソ石油―早大文学部
「高校時代は放送部にいました。素敵な女子学生を校内放送で呼び出したり
して遊んでいました。エッソ石油を定年退職後、夜の文学部の学生となりました。
岩波書店発行『定年後』(1999)に“還暦の大学生となって”というタイトルで文学部
生活について書きました。現在は、「金沢文学散歩」を書き貯めていています。

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