からたちサロン08
だれでも創れるひとり芝居(トークショー抄録)
◇森田雄三(17期)

演出家


 演出家、森田雄三さん(17期)はイッセー尾形の一人芝居の演出家としても有名です。40歳の時に生死を分かつ大病を患い左足を失った時「どうか60歳まで生かせて欲しい。自分を捨てて働くから」と何かに向かって祈ったそうです。その祈りから「あなたも4日間の稽古で舞台に立てる」というユニークなワークショップを開発、全国に展開されており、いまではニューヨーク、ロンドンなど海外にも広がっています。 祈り叫んだ人間の生への強い思いを持って、元気に精力的に活動を続ける森田さんの今日に至る生き方、人間の生き様を語ってもらいます。
(坂井茂樹〈17期〉:前関東支部長)


 からだの自由が利かなくなることが老いるということだとするなら、私は40歳で杖無しでは歩けなくなりました。からだが動かなくなるということでは皆さんの先輩ということになるので、その点からお話しします。

 自分が関与する幸福は愛 自分が関与しない幸福は嫉妬
 40歳で骨肉腫になった時、医師から「3ヶ月の命だから入院しない方がいいでしょう」と言われました。子どもは、3歳と7歳。小さいから少しでも一緒に居た方がいいだろうということです。それから四半世紀近く、生き延びています。
 死ぬと思った時にいちばんつらかったのは、自分が死んだ後に家族が笑って食事をしている風景を思うことでした。私の死後、つれあいや子どもが楽しそうに暮らすのが許せないわけです。昔の皇帝が作らせた埴輪や、キリストの復活、仏教の輪廻といった考え方がなんとなくわかるようになりました。
 気持ちが落ち着いてから気づいたのは、「自分が関与する幸福は愛。自分が関与しない幸福は嫉妬」ということ。下手をすると自分は家族の幸福を願わないことになるのではないかと考え、生きているうちから自分の関与を家族から消そうと思いました。生きていてもいなくても、さしてかわりのない自分。「"僕にしかできないこと"がない」という方向に向かったのです。
 子どもが悪さをしても、「そうだね」。女房が怒っても、「そうだね」。出された食事に対しても、おいしいともまずいとも言わずに、全部食べる。積極的に食事に価値を置かないようにしようと思ったわけです。着るものにしてもなんでも言われた通りにする。自分はどこに行きたいということができるだけないようにする、という具合です。

 働き盛りで障がい者になったということと、演出家という個性を売らなければいけない仕事をしていたということから、そのような考え方になったのではないかと思います。 個性の究極は、唯一無二の自分、取り替え不可能な自分ということですが、これは年をとるということと逆の流れになります。年をとってからだが不自由になってくるのに、そこで個性的であろうとすると、相当難しいわけです。

 われわれが見つけた独特の手法は舞台の上で「困る」ということ

 イッセー尾形も私も特別なことをしているわけではありません。イッセーさんも特別でなければ森田雄三という演出家も何もしていない。とはいえ、1つだけ独特の演劇的手法があり、それを使えば一夜にしてユニークな俳優、役者ができあがります。 それは、舞台上で「困る」こと。ドラマというと、観客は派手なアクションや素敵な告白に目がいきがちですが、プロからすると寸前の迷いが大事なのです。困る演技が魅力的でないといけないのです。たとえば、高倉健さんが殴り込みをする前に道路を歩く。ただ歩く。迷いをどう表現するか。躊躇や困惑。ここに力点を置くのです。だから演技派といわれる役者たちは「困る演技」の修練を積み、たくさんの引き出しを持っています。現実に当てはめてみても、困っている人は魅力的。俗に喪服の未亡人が色っぽいとか言いますね。家出中の少年少女に声をかけたくなるとか。困った人と魅力って、すごく関係があるのです。

 イッセーさんと我々は、稽古をしません。粗粗(あらあら)はするけれど、舞台上で困る余地を残しておくわけです。困る演技をするよりも、本当に困った方がいい。こういう荒っぽいというか、面白い方法をとっています。 現実に困ったときは実にさまざまな方法があって、新鮮です。困ったとき、人は大げさな身振りなんかしないもの。「困った」って表現しないわけ。だからこそ内心がひっくり返っていることがわかるのです。

 このユニークな方法を一般に広めだしたのは病気になった後のことで、「あなたも4日間の稽古で舞台に立てる」というタイトルのワークショップ(芝居の稽古と本番)です。文化庁の依頼で全国10カ所の劇場で開催しましたが、多い時は200人も参加してくれました。老若男女いろんな人がいて、障がい者も参加しました。 ワークショップは世界のいろんな芸術家が挑戦して、ことごとく失敗しています。でも、私は「困る」というキーワードを見つけたから出来ているというところがあります。

 脳溢血の後で体験した脳の補完作用 変化した自分を生きるのが建設的
 50歳の時、こんどは脳溢血になりました。脳の地図と現在地をつなぐ箇所が傷ついて大変なことになったと思ったけれど、発想はとても豊かになったのです。イッセーさんと桃井かおりさんの二人芝居の稽古中、二人によく言われました。それで医者に尋ねたら、脳には補完作用があって、ある箇所がだめになると別のところが働きだすのだとか。

 これはおもしろいと思って始めたのが、金沢市の援助による「あなたも1週間でベストセラー小説が書ける」というワークショップです。ふだん使っている部分の脳を使わず、考えないで書け。とにかく鉛筆を走らせろ。考えるな。鉛筆が止まったら、寝っ転がれ。寝っ転がるのに飽きたらまた書け、と指導したのです。そして、かけ声をかけたら、持参してもらった辞書を開いて、目に飛び込んで来た語彙を使って、文章を作る。こんな方法で書いた小説が、朝日新聞社の懸賞小説の最終3作品のうちの1つに残りました。他の2作品はポプラ社から商業出版されたものでしたから、すごい快挙です。
 だれでも長生きすれば、いままで使っていた部分の脳が使えなくなるという事態は、必ず訪れます。でも、そこで別の脳が働きだします。それをうまく使えば相当高品質なものができるのです。若い頃の自分を持続したいと思うのが人情ですが、変化した自分で生きるということが建設的というか、素直なのでしょう。

 一世を風靡した小松政夫さんも、いまや70近く。セリフを覚えるのにも苦労し、スタッフの扱いや待遇もそれなりになっています。でも、普通の芝居はつらいけれど、子どもの頃に見たバナナの叩き売りや、あやしげな薬売りなどの口上は不思議なほどスラスラと出てきます。70近くなって、初めて自分のセリフが言える。それでいいのです。社会から解放されてやっと自分にもどれたのではないでしょうか。


 逆転の発想で新しい世界、新しい仕事へ 色っぽい日々を夢みるのも一興?
 ふつうのことをしようと思ったら、足を失ったことや脳溢血が不幸に思えます。でも、「からだや脳が壊れることは新しい世界に行くこと」と考えてみるのはどうでしょう。好むと好まざるとに関わらず我々は老いていきます。だからこそ、逆転の発想で新しい仕事をする、しようと私は思います。 よくよく考えたら人生、仕事一筋。つれあい以外と縁がありませんでした。浮気する度胸も。だから、認知症になって色ぼけに走ろうかと思っています。認知症なら責任もない。そういう楽しみが待っていると思って、あとの人生を過ごしましょうということで締めくくらせていただきます。

(文責・中田有博 29期)












◆トークショー後記  司会者;坂井茂樹
 私は森田さんの吐露される言葉の端々にマッカーサー元帥が座右の銘としていた、無名の作詩家サミエル・ウルマン(アメリカ)の『青春(Youth)』の詩の次の一節を思い起こさせられます。
青春とは臆病さを退ける勇気 やすきにつく気持ちを振り捨てる冒険心を意味する。
ときには、20歳の青年よりも60歳の人に青春がある。 年を重ねただけで人は老いない。
理想を失うときはじめて老いる。 歳月は皮膚にしわを増すが、熱情を失えば心はしぼむ。
苦悩、恐怖、失望により気力は地にはい精神は芥(あくた)になる。
60歳であろうと16歳であろうと人の胸には 驚異にひかれる心、おさな児のような未知への探求心 人生への興味の歓喜がある。(宇野収、作山宗久訳の一部)
 
◆総会後の懇親会での演劇部OB,OGの記念撮影から
左からニ水同窓会会長牧行宣さん(16期)、
岡本るいさん(17期)、森田雄三さん(17期)、
前ニ水関東支部長坂井茂樹さん(17期)
◇森田雄三プロフィール
 1946年白山市生。松任中学―二水高校昭和40年卒(演劇部)―金沢美大(中退)
  森田雄三は日本における一人芝居の第一人者であるイッセー尾形の演出家として全国に9万人ものフアンを持つ名演出家の一人である。
 石川平野のど真ん中、田んぼしかない松任の集落に生まれ、3歳にして始めて車というものを見て、そのトラックを追いかけ「バンザイ」と声を上げたその頃から大変に好奇心の旺盛で行動力のある子供だったようだ。
 二水高校を卒業後、金沢美大に入学するも1年で中退し、直ちに憧れの東京に行く。上京後、劇団「雲」に入り、芥川比呂志主演の「リア王」に台詞のない兵隊役で出演、タイツ姿も面映い青年であったが1年でクビになり、その後は世の演劇を目指す人々と同じく乏しい収入を補うため建設作業員のアルバイトをする。
 そこでお金を握ってやってきた19歳のイッセー尾形(本名・尾形一成)と運命的な出会う。6歳年下のイッセー尾形とは四,六時中顔を合わせいつも一緒にいたので「金魚のフン」と揶揄される。24歳の頃、結婚資金や奥様の稼ぎを当てに前衛演劇をどんどん演出。そして34歳の頃、1980年に芝居を最後にするつもりで、長男誕生の祝い金を使って「イッセー尾形の一人芝居」を公演。これが現在に続きイッセー尾形=森田雄三と切っても切れない結びつきとなっている。
  森田氏はこれまでに二回死の淵に直面してる。40歳の骨髄炎では「どうか60歳まで生かせて欲しい。自分を捨てて働くから」と何かに向かって祈ったという。さらに55歳の時に新しい芝居創りをしようとする矢先、血圧が上がり死に掛けている。森田氏は二度とも不死鳥の如く再生、ことに2005年に始めた"ワークショップ"という素人が4日間で芝居を作る試みは全国に広がっている。講演で見られるように、いまも「何とか60歳まで生かしてくれ」と祈った歳を超え、ある意味達観したかのように、元気で精力的に活動を続けている。 (坂井茂樹 17期)

 森田雄三のブログ「イッセー尾形の字の部分 演出家森田雄三 語録ブログ」

          
  
◆二水演劇部の仲間たち
 昭和37年、金沢女子短大で「乞食の歌」を上演
 右から3人目森田さん、小林先生(右端)牧同窓
 会長、岡本るいさん、坂井さんらも見える。

◆森田雄三さんの著書
「間の取れる人 間抜けな人
 ―人づき合いが楽になる

 
祥伝社新書
2007年



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