◆トークショー後記 司会者;坂井茂樹
私は森田さんの吐露される言葉の端々にマッカーサー元帥が座右の銘としていた、無名の作詩家サミエル・ウルマン(アメリカ)の『青春(Youth)』の詩の次の一節を思い起こさせられます。
青春とは臆病さを退ける勇気 やすきにつく気持ちを振り捨てる冒険心を意味する。
ときには、20歳の青年よりも60歳の人に青春がある。 年を重ねただけで人は老いない。
理想を失うときはじめて老いる。 歳月は皮膚にしわを増すが、熱情を失えば心はしぼむ。
苦悩、恐怖、失望により気力は地にはい精神は芥(あくた)になる。
60歳であろうと16歳であろうと人の胸には 驚異にひかれる心、おさな児のような未知への探求心
人生への興味の歓喜がある。(宇野収、作山宗久訳の一部) |
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◆総会後の懇親会での演劇部OB,OGの記念撮影から
左からニ水同窓会会長牧行宣さん(16期)、
岡本るいさん(17期)、森田雄三さん(17期)、
前ニ水関東支部長坂井茂樹さん(17期) |
◇森田雄三プロフィール 1946年白山市生。松任中学―二水高校昭和40年卒(演劇部)―金沢美大(中退)
森田雄三は日本における一人芝居の第一人者であるイッセー尾形の演出家として全国に9万人ものフアンを持つ名演出家の一人である。
石川平野のど真ん中、田んぼしかない松任の集落に生まれ、3歳にして始めて車というものを見て、そのトラックを追いかけ「バンザイ」と声を上げたその頃から大変に好奇心の旺盛で行動力のある子供だったようだ。
二水高校を卒業後、金沢美大に入学するも1年で中退し、直ちに憧れの東京に行く。上京後、劇団「雲」に入り、芥川比呂志主演の「リア王」に台詞のない兵隊役で出演、タイツ姿も面映い青年であったが1年でクビになり、その後は世の演劇を目指す人々と同じく乏しい収入を補うため建設作業員のアルバイトをする。
そこでお金を握ってやってきた19歳のイッセー尾形(本名・尾形一成)と運命的な出会う。6歳年下のイッセー尾形とは四,六時中顔を合わせいつも一緒にいたので「金魚のフン」と揶揄される。24歳の頃、結婚資金や奥様の稼ぎを当てに前衛演劇をどんどん演出。そして34歳の頃、1980年に芝居を最後にするつもりで、長男誕生の祝い金を使って「イッセー尾形の一人芝居」を公演。これが現在に続きイッセー尾形=森田雄三と切っても切れない結びつきとなっている。
森田氏はこれまでに二回死の淵に直面してる。40歳の骨髄炎では「どうか60歳まで生かせて欲しい。自分を捨てて働くから」と何かに向かって祈ったという。さらに55歳の時に新しい芝居創りをしようとする矢先、血圧が上がり死に掛けている。森田氏は二度とも不死鳥の如く再生、ことに2005年に始めた"ワークショップ"という素人が4日間で芝居を作る試みは全国に広がっている。講演で見られるように、いまも「何とか60歳まで生かしてくれ」と祈った歳を超え、ある意味達観したかのように、元気で精力的に活動を続けている。 (坂井茂樹 17期)
森田雄三のブログ「イッセー尾形の字の部分 演出家森田雄三 語録ブログ」
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◆二水演劇部の仲間たち
昭和37年、金沢女子短大で「乞食の歌」を上演
右から3人目森田さん、小林先生(右端)牧同窓
会長、岡本るいさん、坂井さんらも見える。 |
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