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13期 南部健一 さんから ご自身が創作なさった朗読劇の脚本を寄稿頂きました。 |
◇南部健一(13期)東北大学名誉教授 |
11月に上演した朗読劇「無心の愛」の脚本を寄稿します。
脚本はすべて私の創作したものです。
仙台市泉地区吟詠発表会で11月23日に上演しましたが、なかなか好評でした。
司会者の作品紹介は、次のようなものでした。
『人はみな2つのふるさとを持っています。1つは生まれ育った村や町など、
実際のふるさと。もう1つは心のふるさと、すなわち青春時代です。
この物語では2つのふるさとが微妙に交錯します』
写真は劇の舞台となった、北上川のイギリス海岸(宮澤賢治の命名)で、
花巻温泉から近いです。
南部健一(13期生)
朗読劇 『無心の愛』
作 南部健一 (13期)
配役 青木(作者)、祐子(三原蘭岳)、朗読(藤村英風)
昨年10月、青木は花巻温泉で開かれた吟詠大会に参加した。盛岡に住む高校時代からの友人祐子から誘いの手紙が来たのである。青木と祐子、祐子の夫木村武史は、大学時代親しかった。
もう40年前のことになる。卒業式の夜、祐子が青木のアパートを訪ねて来た。いっこうに用件を切り出さず、零時を過ぎたころだった。
「私、木村君にプロポーズされているの。でも迷っているの」
なぜ迷うのか、青木には分からなかった。青木も祐子を愛していたが、彼は、木村と祐子が恋仲だと知り身を引いた。祐子の言葉に青木は動揺した。古いストーブを挟み、二人は無言のままうつむいていた。思いつめたように祐子が言った。
「今夜は、ここに泊めてください」
それでも無言の青木を見て、子供のように泣き出した。青木は祐子の一途な思いを知り、心が乱れた。1 時を回ったときである。青木は冷たく言い放った。
「君を愛している。しかし木村を悲しませることはできない」
二人は黙したまま、時間だけが過ぎていった。午前2時、祐子が言った。
「一つだけ約束して。毎年一度だけ手紙を書きます。必ず返事を下さい」
約束は守ると言う青木の言葉を聞き、祐子は帰り支度を始めた。
二人でアパートの玄関を出ると、吹雪がうなり声を上げていた。風に吹き倒されないよう、青木は祐子を抱きかかえて歩いた。祐子は何度も立ち止まって青木にすがりつき、「帰りたくない」と声を上げて哭いた。しかしその哀切な願いは、風にかき消された。
あれから40年、一度も欠かさず、晩秋には祐子から一通の手紙が届いている。3年前の手紙には、夫が心筋梗塞で亡くなった、とあった。今年の手紙で初めて、祐子が青木に会うことを望んだのである。なぜなのか、青木には見当もつかなかった。
吟詠発表会場のロビーは人々であふれていた。青木を見つけた祐子は、人ごみをかき分け走り寄って来た。着物姿だった。道行は、竹堂の近江八景を絵柄にした千總の友禅だった。琵琶湖の湖面を這う松の枝が、霧に消える絵柄であった。青木は祐子の美しさになぜか不吉な予感がした。
「青木さん、本当におひさしぶりです」
「40年ぶりですね。私の顔が分かりましたか」
「あなたは変わっていないわ。今夜はゆっくりお話ししたいの。夕食はご一緒しましょう」
祐子はつとめて明るく振る舞っているように思えた。しかし穏やかな瞳の奥に、時おり深い悲しみがのぞくのはなぜなのか。
「夫も子供もなく、今の私は趣味の詩吟が支えです」
「今日は、青木さんは何を吟題に選んだの」
「祐子さんとは故郷が同じ金沢で、二水高校でも一緒でした。だから、あの時代を偲んで室生犀星の『犀川』を選びました」
「そうですか。それは楽しみですね。あのころが懐かしいわ」
まもなく青木がステージに立ち吟じ始めた。
うつくしき川は流れたり
そのほとりに我は住みぬ
春は春、なつはなつの
花つける堤に坐りて
こまやけき本のなさけと
愛とを知りぬ
祐子は思い出していた。高校3年の5月、青木に誘われ犀川の河口を訪ねたことを。そこには、アカシアの白い花が咲き乱れていた。頭上から降り注ぐ甘い香りに包まれ、祐子は恋の予感に胸を熱くした。
「そろそろ私の出番だわ。聴いて下さいね」
祐子が登壇するとステージが花やぎ、会場がざわめいた。吟題は良寛の「無心」だった。
花は無心にして蝶を招く 蝶は無心にして花を尋ぬ
花開く時蝶来たり 蝶来たる時花開く
祐子の艶のある声は美しく、吟は、人の世の無常を感じさせた。
自己と他者の関係は無欲がいい、と言うのが良寛の考えであろう。なぜ祐子は「無心」を吟題に選んだのか。男と女が毎年たった一通の手紙で40年間心を通わせる、これを祐子は「無心の愛」と考えたのではないか。
夕方二人はホテルのレストランで待ち合わせをした。岩手の冷酒をくみ交わし、青木は祐子の言葉を待った。
「今日は、どうしてもお会いしたかったの。来ていただいて嬉しいわ。あなたの吟詠「犀川」、涙がこぼれました。昔、二人で見上げたアカシアの花を思い出したの」
「白い花の房が風に揺れていましたね。はっきり覚えています。ところで、今日は、なぜ『無心』を吟題に選んだのですか」
「仲間から、花と蝶は誰をイメージしているのかって、ひやかされました。今夜は私とあなたにしておきましょう」
祐子は軽口をたたいて、はぐらかした。そして顔色も変えず
「これがお会いできる最後になるわ。医師から余命六ヶ月の宣告を受けているの。癌が転移したらしいの」
「抗がん剤でやつれ、あなたに会えない姿になるくらいなら、命は惜しくないの」
青木は信じがたかった。
「この千總の友禅はお棺に納めてほしいって、遺言してあるの」
「人は、命の限りを知ると、愛する人の顔を毎日思い浮かべるものよ。そしてその人に会って、悔いなく灰になりたいと思うの。私は、私が愛したただひとりの人に会い、命の幕を下ろしたいのです」
青木はうつむいて涙をこらえた。
レストランは閉店になった。二人は青木の部屋で呑み直すことにした。日本酒が好きな二人は、それぞれ好みの酒を用意していた。青木が日高見を取り出すと、祐子は自分の部屋から、あさ開のひやおろしを持ち帰った。
青木のグラスに酒をつぐと祐子が言った。
「今夜は呑みましょう。あなたと私の最後の夜だから」
二人はグラスを重ねた。祐子は酔い、白いうなじが桜色に染まったが、背筋が伸びた美しい姿は、昔のままだった。
午前二時になった。カーテンを少し開けると西の空に月が輝いていた。二人は寄り添い月を眺めた。同じ月が二人の故郷、金沢の夜空にも輝いていると思うと、青木は望郷の念にかられた。青木の心を察した祐子は李白の「静夜思」を吟じ始めた。
牀前月光を看る 疑うらくは是れ地上の霜かと
頭を挙げて山月を望み 頭を低れて故郷を思う
「今夜の月は特別美しいわ。あの辛かった吹雪の夜のこと、許してあげようかな」
祐子は笑いながら青木をにらんだ。そして二人はまた酒を酌み交わした。
「楽しかったわ。でも私、酔いました。今夜はこの部屋で休ませてね」
「どうぞ、祐子さん」
「嬉しいわ。40年前は追い出されたわ」
祐子は大げさにバンザイをした。青木は胸が痛んだ。青木は、酔った祐子に肩を貸し、ベッドに寝かせた。そして自身に問いかけた。
「今夜は冷えた体を暖め合って一緒に眠るのが祐子の望みかもしれない。しかしそれは酒に酔った上での一時の気の迷い。そのような行為は、祐子が望んで来た『無心の愛』とは相いれないのではないか」。
結局青木は、ソファで眠ることにした。そして、この距離こそ、四〇年続いた無心の愛にふさわしいと思った。祐子はすぐ眠りについた。安らかな祐子の寝顔を見て安心し、青木は望東尼の和歌を静かに吟じた。
をしからぬ 命ながかれ
桜ばな 雲居に咲かん はるを見るべく
吟が終わると、眠っていたはずの祐子の目から涙がこぼれた。青木はハンカチで祐子の涙をぬぐった。限りなく愛おしかった。青木は思いがあふれしばらく眠れなかった。
翌朝二人は、北上川のイギリス海岸に向かった。堤防から見下ろすと、川は渦を巻いて勢いよく流れ、ふるさとの大河、犀川の、蒼い波をたたえていた。その時である。桟橋の方で人声がした。昨日の吟詠大会に金沢から参加した一行が、室生犀星の『小景異情』を合吟し始めたのであった。
ふるさとは 遠きにありて 思ふもの
そして 悲しく うたふもの
よしや うらぶれて 異土の乞食と なるとても
帰る ところに あるまじや
切々たる望郷の調べが身に沁み、祐子は泣いた。青木は祐子を抱きよせ、目を閉じて朗々たる吟にひたった。一行の合吟が終わると、祐子は青木を見つめ、涙もふかず、「ありがとう」とつぶやいた。これが祐子の最期の言葉となった。
翌年はいつもの晩秋がすぎ、さらに雪が降っても、祐子から手紙が来なかった。それは、無心の愛に生きた祐子が、千總の友禅におおわれて、永遠の眠りについたことを物語っていた。