(撮影 小川光三)
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昨年10月に開かれました二水高校同窓会関東支部総会で講演頂きました南部先生が、2015最初のからたちサロンへ投稿をお寄せくださいました。 |
◇南部健一(13期)東北大学名誉教授 |
人は、ひとりでは生きられない。死が身近なものとなったとき、なぜか
救いの手を差しのべてくれる人が現われる。川瀬悟一もそんな一人である。
思慮深い悟一は、少年時代から人が生きる意味について考えながら日々を過ごしていた。18歳になったとき悟一は深い無常観にとらわれた。そして生きることに意味はないのではないか、と悩んだ。大学もほとんど行かず、お気に入りの犀川、浅野川、河北潟、内灘の浜などを訪ね、木陰に自転車を止めて考えにふけった。
10月のある日、悟一は浅野川河口を訪ねた。実りの秋には稲を満載した舟が行き交う美しい水郷地帯だが、今は収穫も終わり見渡す限り殺伐とした田園風景が続いていた。堤防は自転車のハンドルを越える丈の高い雑草におおわれ、遠くからは人の存在すら気づかなかったであろう。悟一は草の上に自転車を倒すと、脇に腰を下ろし川の流れを眺めていた。ヨシキリが鳴き始めた。空が曇り雨がぽつぽつ当たって来た。冷たい雨だった。悟一は雨具を持たなかった。対岸には舟小屋が見えたが、こちら側には何もなかった。また、橋はかなり遠い蚊爪の村まで戻らないとなかった。
なぜか急いで堤防の細道を引き返す気にもなれなかった。雨は帽子をぬらし、上着にしみ込み、肌着を濡らし、体に届いた。しかし、ただなすがままにしていた。漠然と、やがて体が冷えきって自分は死ぬのであろう、と思った。しかしそれが特別重大なこととも思われなかった。冷たい雨は、悟一から生きようという意志を奪った。いや、彼はすでに思考をほぼ停止し、その事実に身をまかせていた。遠ざかろうとする意識の中で、自分の亡き骸を見た母の悲嘆を想像したが、それも一瞬に過ぎ去った。しだいに眠くなってきた。
誰かが自分を呼んでいる気がした。その声は次第に近づいた。気だるい頭を持ち上げ目を開くと、雨にけぶる対岸からから一艘の舟が滑るように近づいて来た。雨傘をかぶった船頭は舳を岸の葦に突っ込み、川底に竿を突き刺して舟を止めると、悟一に「乗れ」と手で合図した。放心状態の悟一は言われるままに舟に乗り移った。船頭は岸に上がると悟一の自転車をかかえて舟に戻った。そして、何事もなかったように、巧みに竿を操り対岸に向かった。船頭は終始無言だった。
舟小屋に着くと船頭は悟一を中に招き入れた。囲炉裏には薪が赤々と燃えていた。船頭が雨傘をぬいだ。悟一は初めて女だと気付いた。女は「乾かすから着ているものをすべて脱ぎなさい」と言った。悟一は裸になると女に背を向け囲炉裏の縁に坐った。ぬれた服を受け取ると、女は無言で服をあぶり始めた。白い頬に炎が揺らめいた。40代後半だろうか。粗末な野良着を身にまとっているが、どこか気品のある顔立ちだった。時折パチパチと火がはじけた。
一言もなく二人は囲炉裏を囲んでいた。小一時間も経っただろうか。
「乾いたようです。これを身につけなさい」
と言うと悟一に服を手渡した。袖を通すと暖かかった。人の情けが身に沁み、涙がこぼれた。女は薪をくべながら話し始めた。
「命は大切です。命は預かりものなのです。あなたのものではないのです」
「生きることに意味があるかないかは、あなたに命をあずけた仏さまがお決めなさることです」
悟一は訊いた。
「あなたは尼ですか」
女は答えた。
「いいえ、私は平凡な農婦です。夫に先立たれ、この季節には川魚を取って暮しのよすがとしています」
悟一は訊いた。
「あなたは生きていて幸せですか」
「もちろんです。雨も上がりました。あなたにわたしの幸せを見せてあげましょう」
女は悟一を誘い舟小屋の前の小道を河北潟に向かって歩き出した。5分も歩くと潟に出た。壮大な夕焼けが空をおおい湖面を染め、人の丈の2倍もある葦が風の助けを借りて、美しい空を掃いていた。これが女の幸せだったのか。悟一は声をあげて哭いた。女は悟一をそっと抱き締め、彼の嗚咽が止むのを待った。悟一は知った。
「この人は観音さまに違いない。そして自分は今、この人の溢れんばかりの愛に包まれている」と。
舟小屋に戻ると女はほうじ茶をいれてくれた。温かかった。また涙が出そうになった。悟一は万感の思いを込め女に礼を述べた。別れ際に女が言った。
「若いあなたは、どんなに辛いことがあっても生きるんですよ。命があれば、いつでもあの美しい夕焼けを私と共に見ることができますから」
この言葉は、生涯悟一に語りかけた。
◇南部健一プロフィール | |
1943年 金沢市千田町生まれ、二水高校(1961)―金沢大工学部(1965)-東北大学大学院博士課程卒(1970)、工学博士。 東北大学流体科学研究所(旧 高速力学研究所)教授(1986)、2006年 東北大学を定年退職、東北大学名誉教授 100年余学界の難問と云われたボルツマン方程式(Boltzmann equation)の解法を1980年世界で初めて発見、その功績によって2008年 紫綬褒章受章 |
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著書: 「果てなき海に漕ぎ出でて」(丸善)仙台出版‘88)、「乱れる」(オーム社、1995) | |
南部健一ブログ「 果てなき海へ漕ぎいでて 」http://blogs.yahoo.co.jp/nanbukenichikitagawaissei |
南部さん、感動の物語ですね。故郷の地名が幾つかでてきて懐かしいのもありますが、何と言っても、ひよこが急に大人になったような息を飲むようなな短い時間の緊張感が何とも言えません。温かいほうじ茶の香りが漂い、美しい夕焼け空が目の前に広がるようです。
今井清博(13期)
今井清博さん、コメントありがとうございます。小学生のころ千田という小さな村に住んでいました。隣は木越、その隣は大浦そして蚊爪です。浅野川、大宮川、金腐川、そして河北潟付近の水郷地帯の運河が遊び場でした。
作者も気づかない「ほうじ茶の香り」に言及されたのは、驚きでした。「からたちサロン」に掲載していただいたことで、悩みながら今を生きる若い二水高校出身の後輩たちの目に触れれば嬉しいですね。
そっくりそのまま、目の前に情景が浮かんできます。構成の素晴らしさもさることながら、随所に散りばめられた美しい描写が五感に響きます。自転車の軋み、生い茂る雑草の圧迫感、川面の水音。場面が変われば、囲炉裏で薪を焼べる音、壮大な夕焼けとほうじ茶の香り。主人公の悟一が”命があれば”の言葉を終始忘れ得なかったと同様に、私も忘れ難い物語を読ませて頂きました。ありがとうございます。18期河本
河本 富子さん、コメントありがとうございます。感想を読んでいますと、作者が触れていないものまで見えて来ました。自転車の軋み、雑草の圧迫感、川面の水音、ほうじ茶の香りなど。感性豊かな読者を得て幸せです。
姿が見えても見えなくても、誰かが自分を見守ってくれている、そんな気がしてなりません。3.11の震災でもあの日は奥松島の海に行くことにしていましたが、誰かが「今日は、海に行かないほうがいい」とささやきました。