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金沢の街を歩くと、昔の場所に帰ってきたとともに、その時代にタイムスリップでき懐かしく、嬉しいものです。 ひょっと立ち寄る昔の建物、中の金沢なまりの人たちと思わず話し込むと、さらに、誰それ誰それと人の縁が感じる。・・・「世の中狭いね・・・」と笑う人も、作者のようにうるさいと感じる人も・・・金沢はオモシロイ (紹介者 サロンマスター高田敬輔) |
◇松田英世(8期) 放送部NHB出身 「文化の都、金澤」を今も・・ |
かつて私が暮らしていたころの金沢はうるさい街だった。人間関係が濃密で、噂の 伝播は早く、街を歩けば知人に出会った。
しかし、もはや金沢を離れて半世紀。私は土地の人にとっては、ただの見知らぬ人に過ぎない。知人に出会うのはまず奇跡だろう。
先日、ぶらりと金沢を歩いてみた。尾張町の交差点に、やや円い形の白亜の館が あった。 金沢文芸館という看板が出ていた。1階交流サロン、2階五木寛之文庫、3階文芸フ ロア。2階に行くと、案内の男性だけしかいない。
「どちらからですか?」と案内者。「神奈川県からですが」「遠いところありがとう ございます。昨日、ここに女優の岸恵子さんが来られましてね」と雑談が続く。 「金沢出身なんですよ」と私が言うと、案内者は気を許したのか、ひとしきり五木寛 之の奥さんの絵の話になる。
作家の高田宏氏のことを聞いてみたら、案内者は知っていた。「石川県にゆかりの ある人で、九谷焼の博物館の館長さんもやっています」と話してくれた。「あの方、 どういう経歴なんですかね?」と案内者。「私が前に勤めていた、エッソ石油の広報 で大仏次郎賞をもらって作家になたんですよ」と私。
「エッソさんですか? エッソといえば、松野宗純さんに、わたし、かわいがられま してね」と思わぬ言葉が案内者から出てきた。
エッソ石油で重役になり、退職後、金沢で僧侶になった話題の人だ。
高校はどこ? という話から、「森喜朗さんの高校ですか?」とだんだんと国勢調 査に近づく。「じゃ、Xさん知ってますか?」と案内者。「X君? 彼とは高校同期 で、放送部でいっしよにやったものです」
X君は、その案内者がかつて勤めていた紙問屋で長年上司として仕えた人だと言 う。そして案内者は言った、「ご縁ですね」。
きりがないくらいの人物連関物語が続く。金沢はいまもうるさい街であった。
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プロフィール 松田英世;昭和12年生、金石中―二水―金大理学部―エッソ石油―早大文学部 「高校時代は放送部にいました。素敵な女子学生を校内放送で呼び出したり して遊んでいました。エッソ石油を定年退職後、夜の文学部の学生となりました。 岩波書店発行『定年後』(1999)に“還暦の大学生となって”というタイトルで文学部 生活について書きました。現在は、「金沢文学散歩」を書き貯めていています。 |