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河合さんは中学時代骨髄炎のため補装具装着され6年遅れて二水入学、逆境に対して生き抜いた強い精神、その努力に花が咲いて第1回高峰賞を筆頭の成績で受賞されました。 医学薬学分野の研究と教育に貢献され、薬事、環境問題に関して分かりやすい多くの著書を執筆され、今もお元気なことは嬉しいです。 (紹介者;北村澄江) |
◇河合聡 (4期)第1回高峰賞受賞者元岐阜薬科大学教授 |
二水同窓会関東支部のみなさん、ご無沙汰しています。
このほど、新しくできたホームページへの寄稿を高田君から依頼され、高校時代も遠い昔になりましたが、とりあえず私の近況をお知らせします。
大学卒業後の私の人生遍歴の概要をお話しますと、世田谷区用賀にありました厚生省(当時)所轄の衛生試験所に約10年間勤務しました。
用賀はまだ広々した空き地が広がっていて、一坪1万円の立札を見て、とても手が出ないと目を丸くしていたことを思い出します。
今にして思えば背伸びしてでも買っておけばよかった。ちなみに私の初任給は6600円で生活は苦しく、下宿と試験所との間を毎日行き来するだけの生活でした。
その後、岐阜薬科大学に赴任して約30年近く勤務しました。退職後、現在の伊豆の山の中で暮らしています。
なぜ伊豆に来たのか?とよく聞かれます。岐阜は冬寒く夏は暑いところです。退職間近い頃、教室内での雑談の折「贅沢は言わないが、退職後は岐阜より夏は2-3度涼しく、冬は2-3度温かいところで暮らしたい」と言いましたら、たまたま静岡出身の学生がいて、「先生、それは静岡しかないよ」と答えたのです。折も折、伊豆の山間で分譲地を売り出しているというダイレクトメールが舞い込み、冷やかし半分に出かけてみたところ、すっかり気に入ったという次第です。
「ダイヤランド」という愛称で呼ばれる分譲地区は、約4000区画の別荘地です。標高300~500メートルの緑の中に、私のような定住者が住む約600世帯の色とりどりのカラフルな建物が点在しています。
買い物、コピー、郵便局など・・・何をするにも山を降りなければならず、その点は不便ですが、世俗的騒音から逃れた別世界で自分流の生活を楽しむには最高です。
今年の夏は、伊豆も暑い毎日でしたが、学生が言った通り豊かな自然があり、実に気候の温暖な住みよいところです。
この山の中で、時代遅れの目で激しく移り変わる社会の姿を見つめていますと、何か大切なものを置き忘れたまま疾走しているような印象を受けています。それは、一口で言えば、能力主義、効率主義のようです。疾走に疲れ果てたとき、何が残るのでしょうか。これでは恐らく道端に咲く可憐な花の美しさは理解できないのではという気がします。
そんな気持をこのたび「老いてこそ輝け」という拙著に託しました。本屋で見かけたらお目通しいただければ幸いです。
数年前、北村澄江先生と私の一級下の二水の同窓千田芳江さんのお二人がわざわざ訪ねて下さったのはなつかしい思い出です。
みなさんにもどうぞ伊豆にご来遊いただき、語り合う機会が持てることを願っています。
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プロフィール: 昭和3年生、諸江小―金商―二水、東大医学部卒、元厚生省国立衛生研究所、元岐阜薬科大学教授
著 書 : 「地球環境の今を考える」丸善(2008年) |