松田英世(8期)
松田英世さん(8期)は放送部で活躍され、長年東京の大手石油会社にお勤めでしたが、定年後、早稲田大学をご卒業。これから連載される金沢のお話が楽しみです。
今回はこの1月急逝された同期生浅川マキさんの追悼も兼ね、エピソードを紹介戴きます。
(紹介者;竹内栄子(8期))
◇松田英世(8期)
 放送部NHB出身
「文化の都、金澤」を今も・・

《わたしが、日劇ミュージック・ホールに出演したのは、一九六九年と七〇年の二回 でいずれも十二月公演であった。・・・わたしは一曲唄い終えると少しだけはなした。「わたしは、役場で国民健康保険の係をしておりまして」 すると、客席は爆笑 する。客席のほとんどは男だったと思う。》(浅川マキの小説 『暗い目をした女 優』より)

  確かに客席は男で埋め尽くされていた。私もその一人だった。たぶん七〇年の公演 だ。 野次が飛んだことも覚えている。「マキッ!」 マキは応じた。「どこのどちら様ですか? 親戚の方ですか?」 男たちは爆笑した。
 黒いドレスをまとった浅川マキは、黒人霊歌とデヴュー曲の「夜が明けたら」を 唄った。

   夜が明けたら一番早い汽車に乗るから
   切符を用意してちょうだい・・・
   今夜でこの街とはさよならね
   わりといい街だったけどね  

 まるで語るようなどすの利いた声で、どこかの街からの出奔を歌っているようだっ た。あるとき雑誌で浅川マキのエッセイが目にとまった。石川県の美川町の役場に勤め ていたころの話だった。同県人であることを知って、彼女との距離が近くなったよう に思えた。
 その数日後、およそNHKとは縁のなさそうな彼女が昼時のテレビ番組に出てい た。あの時そのままの黒いドレスで、「夜が明けたら」を唄った。そして彼女は言っ た。「金沢の二水高校を卒業してから役場に勤め・・・」
 私と同窓生だったとは。しかも後でわかったのだが、私と同期生でもあった。
 浅川マキに手紙を出してみた。すぐに返事がきた。原稿用紙一枚に、書家を思わせ る書体でお礼の言葉が綴られていた。最後に、同期生はおどろおどろしい存在です、 としたためてあった。
 時に、CDで浅川マキを聴く。「わりといい街だったけどね」が金沢のことなのか な? と想像しながら。

◇プロフィール
松田英世;昭和12年生、金石中―二水―金大理学部卒
「高校時代は放送部にいました。素敵な女子学生を校内放送で呼び出したりして遊んでいました。
エッソ石油を定年退職後、夜の文学部の学生となり4年間通学し、大人の会という高齢学生たちの会を創ってコンパもやりました。
岩波書店発行の『定年後』(1999)に“還暦の大学生となって”というタイトルで文学部生活について書きました。
目下、金沢文学散歩をテーマにして、文章教室に通って書いています。」

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